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(2) なぜ、農薬が使われるのか農業を始めて以来、人は病害虫や雑草から農作物を守るための努力を行ってきました。その方法としては、病害虫に強い品種の利用、耕起や作物を収穫した残りの部分の除去による病害虫発生対策などの耕種的防除、ビニールシートや敷きわらによる雑草抑制、太陽熱利用による土壌の消毒などの物理的防除、クモ等の天敵等を利用した生物的防除も行われていますが、少ない労力で一定の効果が得られる点で農薬の使用が行われています。 (3) 病害虫や雑草による被害はどの位か病害虫の有効な防除方法がなかった時代には、例えば我が国では、享保年間に稲にウンカによる大被害の発生によって多くの人が餓死したと記録があります。また、外国では1845年にアイルランドで人々の主食であるジャガイモの疫病が大発生し、悲惨な飢饉が生じました。 過去に行われた調査結果では、一般的な栽培を行っていて病害虫防除対策を行わなかった場合、農作物の収穫量が大幅に減少することを示しています(表1、2参照)
・社団法人日本植物防疫協会「農薬を使用しないで栽培した場合の病害虫等の被害に関する調査」(1993年)
(4) 農薬の歴史日本では、その昔、いわゆる「虫追い」、「虫送り」といって、農家がみんなで太鼓、半鐘、たいまつ等をもち、声を出しながら田んぼのまわりを歩き、稲に付く虫を追い払ったといわれています。江戸時代には鯨からとった油を水田に撒き、稲に付いている害虫を払い落とす方法が発明され、昭和の初期まで続けられました。また、戦前には除虫菊(蚊取り線香と同じ成分)、硫酸ニコチン(タバコから)などを用いた殺虫剤、銅、石灰硫黄などの殺菌剤など天然物由来の農薬が使われていました。しかし、雑草に対しては手取りによる除草が中心で、戦後、除草剤が開発されるまで続けられました。炎天下のこの作業は大変な重労働でした。 戦後、科学技術の進歩により化学合成農薬が登場し、収穫量の増大や農作業の効率化につながりました。図1は、水稲における総労働時間と除草時間の変化を表したものです。除草時間の場合、1949年では除草時間10アール当たり50時間であったものが、1999年では約2時間/10アールとなり、除草剤を使用することで除草作業は効率的に行えるようになりました。これらの農薬の中には、人に対する毒性が強く、農薬使用中の事故が多発したもの、農作物に残留する性質(作物残留性)が高いもの、土壌への残留性が高いものなどがあったため、このことが昭和40年代に社会問題となりました(図2)。
このため、昭和46年に農薬取締法を改正し、目的規定に「国民の健康の保護」と「国民の生活環境の保全」を位置付けるとともに、農薬の登録の際に、登録申請を行う農薬製造業者や輸入業者は、農薬のほ乳類に対する急性毒性試験成績書及び慢性毒性試験成績書、農作物及び土壌において残留する性質に関する試験成績書を新たに提出することとなりました。その結果、これまで使用されてきたBHC、DDT、ドリン剤などの残留性が高く、人に対する毒性が強い農薬の販売禁止や制限がなされました。この頃から農薬の開発方向は、人に対する毒性が弱く、残留性の低いものへと移行していきました(図3)。また、近年は生物由来の農薬も開発され普及が進んでいます。
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